大阪地方裁判所 昭和61年(行ウ)70号 判決 1989年1月26日
原告
中津才子
右訴訟代理人弁護士
金野俊雄
被告
東大阪労働基準監督署長田辺覚
右指定代理人
小宮山進
同
福原章
同
藤村英夫
同
松田勝
同
南敏春
同
若尾貞夫
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対し、昭和六一年四月二一日付けでなした労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付、遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分は、これを取り消す。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告の夫訴外亡中津守弘(以下「守弘」という。)は、昭和五六年九月二一日から建築用鉄骨の加工組立等を業とする訴外大喜工業株式会社(以下「訴外会社」という。)に雇用されていたが、同五九年八月一日午後四時三〇分ころ訴外会社工場内で作業中、心臓発作を起こして倒れ、東大阪市内の河内総合病院に収容されたが意識を回復することなく、同月二八日午前四時二七分一過性心停止による遷延性意識障害による心不全のため死亡した。
2 原告は、守弘の収入によって生計を維持していた妻として被告に対し、労働者災害補償保険法一二条の八第一項に基づく休業補償給付、遺族補償給付及び葬祭料の支給を求めたところ、被告は、同六一年四月二一日付けで「本件は労基法施行規則三五条に定める業務に起因した疾病とは認められないので不支給とする。」旨の決定(以下「本件処分」という。)をし、同月二三日原告に告知した。原告は、本件処分を不服として、同年六月九日大阪労働者災害補償保険審査官(以下「審査官」という。)に対し審査請求をしたが、審査官は三箇月以内に何らの決定もしなかった。
3 しかしながら、守弘の死亡は、以下のとおり業務に起因した疾病によるものである。
(一) 守弘は、生来頑健で心臓その他に疾患はなく、訴外会社入社前も二〇年来鉄骨関係の労働に従事してきたが、業務の内外を問わず病気で休むことはなかった。
(二) 訴外会社は、その社員は数名にすぎず、建築現場における鉄骨組立作業はもとより、工場内における鉄骨加工等の作業もすべて下請に依存している。
(三) 守弘は、知人の紹介で訴外会社の工事部主任の肩書で実質は工場長兼現場監督格として迎えられたが、工場及び建築現場において作業に従事する社員は守弘一人のみで他はすべて下請従業員であるから同人にかかる負担と責任はおのずと過大にならざるを得なかった。例えば、下請従業員は定時の八時に作業を開始して定時の五時に作業を終了するため、守弘は、作業の準備と後始末のために早朝から出勤し夜遅くまで働かざるを得ないし、日曜、祝日も建前とか注文主との打合わせ等で出勤することが多く、代休を取ることもできないため、休日は月二回位しかなかった。守弘は、職人気質で責任感が強く、固定給のみで超過勤務、日曜、祝日出勤に対して何の補償もない待遇下に黙々として過酷な労働に耐えていたが、同五九年七月ころにはさすがに、このままでは重労働に押しつぶされて殺されてしまうので、夏のボーナスが出たら辞めたいともらすに至っていた。
(四) 守弘は、同年八月一日心身に異常はなく、いつものとおり午前六時三〇分ころ自宅を出て勤務に就き、稼働を続け、同日午後四時三〇分ころ、異常に高温、高湿度となった工場内において、数名の下請従業員とともに工場内で作業中、心臓発作を起こした。
(五) 守弘の心臓発作の原因は右のとおり長期間の過酷な責任の重い労働による心身両面にわたる疲労の蓄積及び当日の工場内の悪条件にあることは明白であって他に要因は存しないのであるから、同人の死因たる心不全は、労基法施行規則別表第一の二の三の5の「身体に過度の負担のかかる作業態様の業務に起因することの明らかな疾病」又は同表第一の二の九の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当することは明らかである。
4 したがって守弘の死亡は業務に起因して発生したものであるから、その妻である原告に対し休業補償給付、遺族補償給付及び葬祭料が支給さるべきところ、これを不支給とした本件処分は違法であるといわねばならない。
よって原告は被告に対し、本件処分の取消しを求める。
二 請求原因に対する認否及び主張
1 請求原因1、2の事実は認める。
2 同3(一)ないし(四)の事実のうち、守弘が、訴外会社入社前も鉄骨関係の労働に従事していたこと、訴外会社は、その社員が数名で、建築現場における鉄骨組立作業はもとより、工場内における鉄骨加工等の作業も下請に依存していること、守弘が、同五九年八月一日、いつものとおり午前六時三〇分ころ自宅を出て就労し、心臓発作を起こしたときには数名の下請従業員とともに工場内で作業中であったことは認めるが、同(五)は否認し、その余の事実は不知。
3 守弘の死亡は、以下のとおり、業務に起因した疾病によるものではない。
(一)(1)(守弘の死因について)
守弘は、同五九年八月一日午後四時三五分ころ訴外会社工場内で作業中心臓発作を起こして倒れ、救急車で東大阪市内の河内総合病院に搬入された時は意識及び自発呼吸はなく、心室細動(心停止の一種)の状態であったが心室細動除去法などの治療を施すことにより一〇ないし一五分後には微弱ながらも自発呼吸を再開し、心房細動に軽快したが、同月二八日午前四時二七分一過性心停止による遷延性意識障害による心不全により死亡した。
主治医は、守弘の業務内容及び発症の状態が十分に判明していないこと並びに病理解剖をしていないため、死亡と業務との関連性の有無については推定が極めて困難であり、因果関係は医学的には分からないとしている。
(2)(守弘の業務内容等について)
訴外会社の事業内容は、鉄骨建築及び鉄骨加工であって、鉄骨建築に必要な鋼材を購入し、構内の加工場でこれを加工して工事現場に搬入し、組み立てることが主たるものであった。守弘が発症した同五九年当時、訴外会社には同人以外に営業担当社員、経理担当社員、非常勤社員(営業担当)の四名が雇用されていた。なお訴外会社は、建築会社から受注した鉄骨組立工事や鉄骨加工の全部又は一部を専属下請事業場である赤田組及び川端組に下請させていた。そして右下請事業主は、それぞれ労働者を雇用して、訴外会社構内に設置された各種機械を使用して、訴外会社から提供された鋼材を加工し建築工事現場においてこれを組み立てていた。右下請事業場への作業等に関する指揮命令の主要なものは、訴外会社の代表者である老田勝彦(以下「老田」という。)が直接各下請事業主に対し行い、また各下請事業主に雇用された労働者の労務管理はそれぞれの事業主が行っていた。
守弘は、同五六年九月二一日訴外会社に鉄骨工として入社し、発症前、主に訴外会社構内の加工場において、鋼材(H型鋼、コラム)の切断加工作業、建築工事現場での鉄骨組立作業、その他鋼材搬入、鋼材加工物の搬出作業、工場内の整理その他の雑作業に従事していたが、鋼材搬入、鋼材加工物搬出を行うに際しては、重量物の場合、加工場内に設置された天井クレーンを使用していたので、さほど肉体的負担が大きいものではなかった。また同人が、加工場、建築工事現場で下請事業主等に対して指揮命令をすることもあったが、それも老田の指示に従って行っていたのであって、それ以上の権限が与えられていたのではないから、このことによって特に精神的負担が増大するということはなかった。守弘は、下請事業主としばしば酒食を共にしており、職場において特に人間関係が不良であったわけではない。
守弘は、訴外会社入社前、同四三年ころから約一三年間にわたって鉄骨建築業を自営し(九年間)、また鉄骨工として勤務する(四年間)という豊富な経験を有し、これらの業務に慣熟しており、訴外会社入社後の主たる業務も入社前のそれとほぼ同じであるから、通常の業務を遂行する上で過重な精神的、肉体的負担を伴うものではなかった。
(3)(守弘の労働時間と勤務状況)
訴外会社における所定労働時間は午前八時から午後五時まで、休憩時間は午前一〇時ころと午後三時ころに各一〇ないし二〇分程度、昼食休憩は正午から一時間、所定休日は毎日曜とされていた。守弘は一箇月に二回位の割合で休日労働に従事し、また平日は午後六時ころまで就労することが多かったが、常態として長時間労働や深夜労働に従事していたものではない。ただ建築工事現場へ、一時間程度早く出勤する場合もあった。なお同人の帰宅が遅いとしても常に時間外労働をしていたものではなく飲酒して遅くなったときもある。
(4) (守弘の発症当日の勤務状況等について)
守弘は、発症当日午前八時ころから工場内において鉄骨加工作業の残材整理等の雑作業に従事し、午前一〇時ころから一〇分間の休憩、正午から一時間の昼食休憩及び午後三時の休憩をそれぞれ取り、午後三時三〇分ころから鋼材加工物の搬出作業に下請従業員と共に従事した後、鋼材等の移動の際に使用するワイヤーロープのくせ直し作業に従事していたところ、午後四時三〇分過ぎに発症した。そして同人のうめき声らしきものを聞いた下請従業員が直ちに老田に連絡し、川端組の川端良夫が人工呼吸を施すとともに、老田の指示で経理担当社員が救急車の出動を要請し、数分後に到着した救急車で河内総合病院に搬送収容された。
このように守弘の発症当日の作業は、日常の業務と比較しても軽易なものであって、精神的、肉体的に過重な負担となるようなものではなかった。また同人の発症後、老田や社員等が執った措置は適切なものであった。
(5)(守弘の発症当日の職場環境について)
守弘が就労していた加工場は、鉄骨造三階建て建物の一階に位置し、間口一一・五二メートル、奥行き六一メートル、六八メートル、面積約七四〇平方メートルあり、出入り口は幅六メートル、高さ四・八メートルと開口し、また両側壁には床上一メートルの所に幅一・八メートル、高さ〇・九メートルの窓が八箇所設けられ、側壁に一馬力の換気扇二基、天井に一馬力の扇風器二基が設置され、さらにスタンド型の工業用扇風器三基が設置されていたから、加工場内の通風が特に悪条件下にあったものではない。
守弘の発症当日の気象状況は、最高気温三二・四度、最低気温二五・九度、平均湿度七一パーセント、平均風速三・三メートルであった。守弘は、開口部から約八メートル離れた場所で稼働していたのであって、当時工場内は外気と比して高温であったが、夏期の気象としてはごく普通のものであって、その作業場所が過酷な環境下にあったものではない。
(6)(守弘の発症前一週間の勤務状況について)
守弘は、発症前一週間、加工場において連日開先加工機を運転してH型鋼及びコラム(柱状の物)の開先加工(鋼材接合面をⅠ型やⅤ型などに加工する。)に従事していた。なお守弘は、右期間中二日間程度、毎二、三時間時間外労働に従事したが、通常の労働態様であって特に過重なる精神的、肉体的負担を生じたわけではない。
(7)(開先加工作業について)
訴外会社は、同五九年二月、鋼材の高精度な開先加工を意図して開先加工機を購入設置したが、この機械は、守弘のみならず下請従業員もこれを運転していた。開先加工機の運転は専門的な技術や体力を要するものではなく、この機械の導入によって訴外会社の業務量が著しく増加したわけではないし、また、作業密度が格別に高くなったわけでもなく、特に守弘の精神的、肉体的負担の増大を招くものではない。
(8)(労働災害発症に係る事後措置について)
訴外会社では、同五九年四月、建築工事現場で死亡事故が発生したが、右事故に関する警察署や労働基準監督署への対応はすべて老田が行ったものであって、右事故の事後措置に関して守弘に過重な精神的、肉体的負担が生じたことはない。
(9)(守弘のアーク溶接試験の受験について)
守弘は、同五九年七月実施されたアーク溶接試験を受験したが、その準備のため同年六月三〇日から同年七月二日まで三日間ダイヘンの溶接スクールにおいて受講した。しかしその受験準備は、右の受講によってすべて習得できる程度のものにすぎず、同人に過重な精神的、肉体的負担を生ずるほどのものではない。
(二)(1) 急性心臓死等の業務上外認定基準は同三六年二月一三日付け基発第一一六号労働省労働基準局長通達(以下「旧通達」という。)に示されていたが、その後別紙記載の同六二年一〇月二六日付け基発第六二〇号労働省労働基準局長通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(以下「新通達」という。)により旧通達の改正がなされ、新基準が示された。新通達によれば、虚血性心疾患等が労基法施行規則別表第一の二の九の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するとされるためには、新通達本文記の2の要件を満たすことが必要であり、解説4においてその判断基準はより明確にされているものである。
(2) ところで右(一)の各事実によれば、守弘が訴外会社において従事していた業務の内容及び勤務状況、人的、物的な職場環境、本件発症当日及び本件発症前一週間の勤務状況が同人の基礎的病態を急激に著しく増悪し発症させ得るような過重なものでなかったことは明らかであり、また、当日、本件発症直前において同人に対し、業務と関連した突発的な出来事などが生じたものでもないから、新通達所定の要件を欠くのみならず、同人の疾病及び死亡と業務との間には相当因果関係はなく、したがって同人の疾病及び死亡は業務起因性を欠くものである。
4 したがって本件処分は適法であり、原告の請求は理由がない。
第三証拠(略)
理由
一 請求原因1、2の事実、同3(一)ないし(四)の事実のうち守弘が、訴外会社入社前も鉄骨関係の労働に従事していたこと、訴外会社は、その社員が数名で、建築現場における鉄骨組立作業はもとより、工場内における鉄骨加工等の作業も下請に依存していること、守弘が、昭和五九年八月一日、いつものとおり午前六時三〇分ころ自宅を出て就労し、心臓発作を起こしたときには数名の下請従業員とともに工場内で作業中であったことは当事者間に争いがない。
二 そこで守弘の死因たる一過性心停止に基づく心不全が、労基法施行規則別表所定の疾病に該当し、同人の死亡が業務に起因した疾病によるものであるか否かについて判断する。
前記当事者間に争いのない事実並びに(証拠略)を総合すると以下の事実が認められ、(証拠略)中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
1 守弘の業務内容
(一) 守弘は、同五六年九月二一日訴外会社に鉄骨工として入社した。
訴外会社の事業内容は、鉄骨建築及び鉄骨加工であって、鉄骨建築に必要な鋼材を購入し、構内の加工場でこれを加工して工事現場に搬入し、組み立てることが主たるものであった。訴外会社は、建築会社から受注した鉄骨組立工事や鉄骨加工の全部又は一部を専属下請業者である赤田組及び川端組に下請させていた。そして右下請事業主は、それぞれ労働者を雇用して、訴外会社構内に設置された各種機械を使用して、訴外会社から提供された鋼材を加工し建築工事現場においてこれを組み立てていた。なお右下請業者への作業等に関する指揮命令の主要なものは、訴外会社の代表者である老田が直接各下請事業主に対し行い、また各下請事業主に雇用された労働者の労務管理はそれぞれの事業主が行っていた。
守弘は、死亡前、主に、訴外会社構内の加工場における鋼材(H型鋼、コラム)の切断加工作業、建築工事現場における鉄骨組立作業、その他鋼材及び鋼材加工物の搬入搬出作業、加工場内の整理その他の雑作業に従事していた。これらの作業は従前老田が行っていたが、訴外会社の業務が拡大したこと、一部下請業者に請け負わせていた業務も訴外会社の直営とした方が円滑馬に処理できることから、訴外会社は後記のとおり鉄骨業に熟達している守弘を採用し、これを担当させることにした。守弘は工事部主任の肩書で呼ばれたが、訴外会社において、老田を補佐して加工場及び建築現場の作業に従事する社員(本工)は守弘一人のみであり、他は営業担当社員、経理担当社員、非常勤社員(営業担当)の三名が雇用されていたにすぎなかった。守弘が鋼材及び鋼材加工物の搬入搬出を行うに際しては、一〇ないし二〇キログラム単位の物は自力で移動させることもあったが、重量物は天井クレーンを操作して移動させていたので、さほど肉体的負担が大きいものではなかった。守弘が下請事業主等に対して指揮命令をすることもあったが、それは老田の指示に従って行っていたのであるから、特に精神的負担を増すというほどのことはなかったし、職場における人間関係は円満であった。
守弘は、訴外会社入社前、同四三年ころから約一三年間にわたって鉄骨建築業を自営したり鉄骨工として勤務し、特にその間の九年間は自営(訴外会社入社直前二年間も自営していた。)であるという豊富な経験をもち鉄骨建築業に慣熟しており、訴外会社入社後の主たる業務も入社前のそれとほぼ同じであり(前記のとおり、そのことが理由で訴外会社に採用された。)、訴外会社における通常の業務を遂行する上で過重な精神的、肉体的負担を伴うものではなかった。
(二) 訴外会社の所定労働時間は午前八時から午後五時まで、休憩時間は午前一〇時ころと午後三時ころに各一〇ないし二〇分程度、昼食休憩は正午から一時間、所定休日は毎日曜とされていた。
守弘は、毎朝午前六時ころ起床し、通勤に約四〇分を要すること、作業を担当する社員として下請業者より早く出勤しておくことが望ましいこと等から、同六時二〇分ころには自宅を出るのが常であり、時には朝食を出勤してから取ることもあったし、もっと早く建築工事現場に出勤する場合もあった。
同人は、通常午後六時過ぎころまで作業をし、午後七時ころ帰宅することが多かったが、長時間労働や深夜労働に従事するのが通常であったというほどのものではなく、帰宅時刻が遅いことがあってもすべて時間外労働をしていたわけではなく、夕食を兼ねて飲酒していたこともある。また同人は一箇月に二回位の割合で休日労働に従事していた。
(三) 訴外会社は、同五九年二月、鋼材の高精度な開先加工を意図して開先加工機を購入設置した。この機械は、守弘のみならず下請従業員も運転していたもので、その運転は専門的な技術や体力を要するものではない。しかしながら訴外会社によるこの機械の導入が地域の同業者の間では比較的早かったこともあり、訴外会社は同年五月ころから、同業者から開先加工の依頼を受けるようになり、その分訴外会社の業務量が増加したため、守弘の残業時間も増加し、肉体的負担は若干増大した。
(四) 訴外会社では、同五九年四月、建築工事現場で死亡事故が発生したが、警察署や労働基準監督署への対応はほとんど老田が行った。したがって右事故の事後措置それ自体に関して守弘に過重な精神的、肉体的負担が生じたことはない。
(五) 守弘は、同五九年七月アーク溶接試験を受験したが、その準備のため自宅での受験勉強の他、同年六月三〇日から同年七月二日まで三日間ダイヘンの溶接スクールにおいて受講、受験し、合格した。しかしその受験準備は、右の程度のもので、守弘自身も右受験準備による身体の疲労等を妻に洩らすことなく(同人は自己の身体に不調が生じたときには妻にその旨告げるのが常であった。)、右受験準備が同人に過重な精神的、肉体的負担を生ぜしめたとは到底いえない。
(六) 守弘は、心臓発作を起こす前一週間、加工場において連日開先加工機を運転してH型鋼及びコラムの開先加工作業に従事したが、右期間中午後六時を著しく過ぎて時間外労働に従事した日数は休日出勤をしたため七日間中三日間程度であった。したがって同人の心臓発作を起こす前一週間の業務が、従前と異なる特に過重な精神的、肉体的負担を生じたわけではない。
(七) 守弘は、心臓発作(以下「本件発作」という。)を起こした同五九年八月一日は、午前六時三〇分ころ自宅を出て午前八時ころから就労し、加工場内において、前日までに一段落した鉄骨加工作業の残材整理等の雑作業に従事していたが、午前一〇時ころから一〇分間の休憩、正午から一時間の昼食休憩及び午後三時の休憩をそれぞれ取った。その後午後三時三〇分ころから下請従業員と共に鋼材加工物の搬出作業に従事した後、鋼材等の移動の際に使用するワイヤーロープのくせ直し作業に従事していたところ、午後四時三五分ころ本件発作を起こした。
守弘のうめき声らしきものを聞いた下請従業員が直ちに老田に連絡し、前記川端組の代表者である川端良夫が人工呼吸を施すとともに、老田の指示で訴外会社の社員で経理を担当していた喜多が救急車の出動を要請し、守弘は救急車で河内総合病院に搬送収容された。
このように守弘の本件発作を起こした当日の作業は、日常の業務と比較してもむしろ軽易ともいえるのであって、精神的、肉体的に過重な負担となるようなものではなかった。また本件発作後、老田や社員等が執った措置は適切なものであった。
(八) 守弘が当日就労していた加工場は、鉄骨造三階建て建物の一階に位置し、間口一一・五二メートル、奥行き六一メートル、六八メートル、面積約七三六平方メートルあり、出入り口は幅六メートル、高さ四・八メートルと開口されており、また両側壁には床上一メートルの所に幅一・八メートル、高さ〇・九メートルの窓が八箇所設けられ、側壁に一馬力の換気扇二基、天井に一馬力の扇風器二基が、さらにスタンド型の工業用扇風器三基が設置されていた。したがって加工場の通風が特に悪条件下にあったとはいえない。
本件発作当日の気象状況(大阪気象台)は、最高気温三二・四度、最低気温二五・九度、平均湿度七一パーセント、平均風速三・三メートルであった。守弘の作業場所は、開口部から約八・三メートル離れた場所であって、外気温と比して高温であった(前記のとおり加工場には扇風器はあるが、冷房施設はなく、四五度程度に上がっていた。)が、夏期としては普通であって、特に過酷な環境下にあったとはいえない。
(九) ところで守弘は、前記のとおり、訴外会社社員中老田を補佐して具体的な作業を担当する唯一の社員であるが、かねがね訴外会社に対し、老田の補佐業務を担当するものとして採用されたにもかかわらず、訴外会社が建築現場で鉄骨工事をするにつき必要なクレーン業者への連絡等本来は老田等が担当すべき作業までまま割り当てられること、また時間外労働や休日出勤もしているのに訴外会社は残業手当等の支給、昇給など賃金面の手当をしないことに不満を持っていたが、前記のとおり開先加工機導入に伴い、同五九年五月ころから残業時間が増大したにもかかわらず、なお賃金面の手当がなされないこと、また同年四月ころ訴外会社で前記の下請従業員の労務に伴う死亡事故があり精神的なショックを受けたこと等から、同年七月初めころには、同月三一日の夏期賞与の支給を契機に訴外会社を退職することを考慮するに至っていた。
2 守弘の死因
(一) 守弘は、同五九年八月一日午後四時三五分ころ訴外会社加工場内で作業中一過性心停止(本件発作)を起こして倒れ、同日午後四時四五分ころ車中で心肺蘇生術を施されながら救急車で東大阪市内の河内総合病院に搬入されたが、その時は意識及び自発呼吸はなく、心室細動(心停止の一種)で血圧測定不能の状態であった。その後担当医師が除細動、気管内挿管、心肺蘇生術などの治療を施すことにより微弱ながらも自発呼吸を再開し、また心房細動となったがなお意識は戻らず、同月二八日午前四時二七分右心不全により死亡した。
(二) 守弘は同一六年一月一八日生まれ(死亡時四三歳)で、同四三年ころから鉄骨関係の業務に従事していたが、足首捻挫による入院を除けば病気で休むなどということは絶えてなく、同五七年六月七日大阪府枚岡保健所において健康診断を受けた際、血圧は最大値一三〇、最小値九〇であった。同人の起床時刻は前記のとおり午前六時ころであり、就寝時刻は午後一〇時ころ、毎日七時間程度良眠し、食欲も旺盛で、同五九年五月ころまでは妻に対し訴外会社を退職したい等と述べることはなかった。
ところで同人は、飲酒を好み、自宅でも毎晩必ずビール二本程度の晩酌を妻としており(妻が内コップ二杯程度を飲む。)、残業をして帰宅が遅くなっても入浴後ビール一本程度の晩酌をしており、本件発作を起こす前夜も家族とビール二リットルを飲み、またタバコも毎日二〇本程度吸っていた。同人の祖父、祖母はいずれも中風になっており、このため妻の従兄弟の長沢勇からは、飲酒を慎むよう再三指摘されていた。
(三) 本件発作の病因は、発症の状態が十分に判明していないこと及び病理解剖をしていないため断定はできないが、守弘入院後の血液検査、その後の病状の変遷等によれば、同人は急性心筋梗塞を発症し致死的不整脈を生じ意識障害に至ったと解される。
ところで右急性心筋梗塞は酸塩基平衡が崩れた場合、カリウムの電解質バランスが崩れた場合に発症するが、気管支喘息等呼吸器疾患のある患者でないと極度に激しい筋肉労働をした場合であっても急性心筋梗塞を発症するに至る程度に酸塩基平衡が崩れることはないものであり、また極度の下痢等がある場合でなければカリウムの電解質バランスが崩れることはないものである(なお労働による発汗によってはナトリウムの電解質バランスが崩れることはあってもカリウムの電解質バランスが崩れることはないのが通常である。)。
これに対し喫煙、飲酒等による冠動脈の動脈硬化が心筋梗塞、狭心症等の虚血性心疾患を招くことは十分に考えられる。
三1 急性心臓死等の業務上外認定基準について、労働省労働基準局長から各都道府県労働基準局長に対し同三六年に旧通達が、同六二年に新通達(別紙)が各発せられ、虚血性心疾患等が労基法施行規則別表第一の二の九の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するとされるための行政上の判断基準が示されている。そしてそこに示された判断基準は、当然に裁判所を拘束するものではないが、一つの有力な基準となる。
ところで前記二1認定の各事実によれは、守弘の訴外会社における業務内容、業務量は特段過重な精神的、肉体的負担を伴う重労働というようなものではなく、また、同人が賃金面について若干の不満を有していたとしても、人的、物的な職場環境について格別不備、欠陥があったということはできず、結局同人の業務に起因して基礎的病態が著しく増悪したものと認めることはできない。
次に同人の本件発作前一週間の勤務状況は、通常の労働態様と特段の差異はなく、特に過重な精神的、肉体的負担を生じるものではなく、本件発作当日の勤務はむしろ軽作業に属するものであり、ただ作業をしていた加工場の気温が四五度程度に上がってはいたが、夏期の鉄骨業者の加工場としては必ずしも過酷な職場であるということはできない。そうすると同人の本件発作当日及び本件発作前一週間の勤務が同人の基礎的病態を急激に著しく増悪し発症させ得るような過重なものであったと認めることはできないし、また、本件発作直前において同人に、業務と関連した突発的な出来事などが生じたものではないことも明らかである。
以上によれば守弘の本件発作は労基法施行規則別表第一の二の九の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するための新通達所定の要件を欠き、同人の本件発作及びそれに基づく死亡の業務起因性は否定されることになる。
2 前記二2認定の各事実によれば、守弘の死因は、断定することは困難であるが、急性心筋梗塞によるものと考えられるところ、右急性心筋梗塞の発症と同人の業務との間に因果関係の存在を認めるに足る事跡はなく、右急性心筋梗塞は、同人の喫煙、飲酒、加齢等の素因に基づく冠動脈の動脈硬化により生じたものと解すべきである。
しかして右動脈硬化と同人の訴外会社入社以前及び入社後の業務との因果関係の存在は、本件全証拠によってもこれを認めるに足りない(なお前記のとおり同人が同五七年六月七日健康診断を受けた際、血圧は最大値一三〇、最小値九〇であったというのであるから、動脈硬化はそれほど進行していなかったと解する余地もある。)。訴外会社が同五九年二月、開先加工機を購入設置したことによる守弘の業務量の増加は、右業務量増加の時期から同人の本件発作までの期間が約三箇月の短期間にとどまるものであることに徴し、右業務量増加を理由に業務と動脈硬化との因果関係の存在を肯定することはできないし、そのころから同人が訴外会社に対し強く不満を持つようになったのは直接には残業手当の不支給等賃金面での不満が中心となるものであり、業務の過重性までも推認させるものではない。
以上説示のとおり、同人の本件発作に至るまでの業務がそれ自体単独で、又は同人の喫煙、飲酒、加齢等の素因と共働し、これらより相対的に有力な原因となって同人の冠動脈の動脈硬化を招き、或いは増悪させたと認めるに足りない。
3 したがって、守弘の死因が労基法施行規則別表第一の二の三の5の「身体に過度の負担のかかる作業態様の業務に起因することの明らかな疾病」及び同表第一の二の九の「その他業務に起因することの明らかな疾病」にあると認めることはできない。
四 以上の次第で、本件処分は正当であり、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 蒲原範明 裁判官 北澤章功 裁判官 鹿島久義)